HAKOBUNE  -芸術の社会性について-                

2023年6月3日から7月9日まで土日開催で三浦市諸磯において31名の作家が集うグループ展が行われた。私も参加し、様々な貴重な経験をすることとなった。場所は相模湾に面していて、会場となる諸磯青少年センターは老朽化のため現在は閉館中。そこに「HAKOBUNE」というタイトルを付けて、これから海にまさに出ようとする人々を表現した展覧会となった。先ずは作家の会場見学から全ては始まった。展覧会の企画は美術家倉重光則であり、自身近所にアトリエや居を構えており、散歩の際目に触れた諸磯青少年センターの時間の経過した様に惹かれ、自身の画業を重ねたという。

私を含めた作家の会場見学の際の印象を説明する。海側の窓という窓は塩害のため、開かなくなっている。正確にはFRPという強化プラスチックで目張りしてあるのだ。それぐらい建物と自然の戦いは激しく、窓のアルミサッシは塩害で穴が開き、建物の内側には塩が結晶化していた。鉄という鉄は錆びて、外壁、天井の腐食、至る所に自然の影響を見ることになる。芸術は自然に学べとは良く言われることだが人間の建造物を突き抜けるパワーに畏怖の念を覚えた。私はといえば、頭で考え整理された作品のアイデアを放り投げて先ずは大平洋を含めたこの風景、または足元に咲くタンポポに身を委ねることにした。

会期が始まってみると、地元の方々が沢山訪れた。建物に飾ってそのままにしていた祭りの写真に友達を見つける方もいた。建物が歴史を持って佇んでいる状況をそのままにすることによって交差する何かを感じた。案内する側の作家も作品だけでなく、建物や会場の話をすることで来客と同じ空間にいることを強く意識することになった。これはギャラリーなどでは起こりにくい現象である。芸術という用意された制度の中で来客と関係を結ぶのではなく、生きる営みとしての芸術を意識していく。地続きな空間を体験することは、作家と観客いうボーダーを壊しているとも言える。

会場は建物の内側と外側に渡っている。建物内側の作品空間の真裏に他者の作品空間があるという、鑑賞体験としては稀有なことがそこここで起きている。これは美術のテーマである内側と外側の問題を想起させる。また、一階の給湯室を利用している作家は部屋の入り口にあるステンレスのアーチを夜空のように取り込んでいる。かと思うと2階の給湯室には海側の小さな窓から差す光を取り込んだ長細い空間に教会を思わせるような静かな空間を作った二人の作家がいた。こうした建物の間取りを利用した個々の作品空間の展開は、偶然出来上がったものだと思うが何か必然を感じてしまう。まだある。海側の窓には4人の作家がそれぞれに作品空間を形成しているが、それぞれの窓の使い方、作品を通したビジョンの見せ方が違いとても興味深かった。窓と風景が各作家を媒介しているので、それぞれの違いというか見たい世界が共存しているのだ。普段なら、言葉や、思考でお互いが隔てられているのに。

私は会場に5回ほど足を運んだが、最初各作家の作品写真が何故か撮れずにいた。そして4回目に訪れた時ふと、作品から距離を置くと自然と写真が撮れた。作品を紹介するための写真では無く、その場の状況を撮ったのだと思う。今回の「HAKOBUNE」は稀有な鑑賞体験が通奏低音のように鳴り響いていたのかもしれない。通奏低音といえば、海から吹く風の音が常に鳴っていて、皆が心地よさそうに聴いていた。