戦争と女性の権利博物館を訪ねて    

                

 

先日ソウルに行って来た。そこで戦争と女性の権利博物館を訪ねることが出来た。博物館は太平洋戦争中に日本軍の「慰安婦」とされた被害生存者(サバイバー)が自分たちのような被害者を二度と出したくない思いで、市民団体や、寄付者と共に2012年に設立された。

受付の人と言葉を交わす。来客リストとして、自分の名前を書いた。多くの日本人(女性が多かった印象)が訪れていた。あまり普段音声ガイドは使わないが、今回は内容を考えて使うことにした。展示を進むと突然屋外に出た。一瞬ドイツのユダヤ博物館(行っていないが)を思い出した。狭い通路に砂利が敷いてあり、そこを歩くと上から同じように「ジャリ、ジャリ」と音がする。ハルモニ(親しみを込めた韓国の年配女性への呼称)達が日本軍に何も知らされずに連れて行かれる様子を追体験出来るようになっている。こうした来館者の身体に訴えかける展示は理屈抜きなので、自然に受け止められた。途中壁からハルモニ達のマスク(顔)と手が無念を訴える。音声ガイドでは、女性たちの被害を概念化するために「慰安婦」という言葉を批判的に使っているとの説明があった。音声ガイドの日本語はとても丁寧な説明で分かりやすく、誠実な印象を持った。

 

 

外の展示から又博物館の建物内部へと移る。こうした身体的な、建築的な展示は非常に強く記憶に残る。横並びの資料展示よりも、ハルモニ達の心に寄り添いやすいという感想を持った。屋内に入ると映像と画像でハルモニ達一人一人の無念が語られる。やはり日本での報道やSNSなどの間接的な情報より、現地(韓国)へ赴いた方が自分の身体を通じて感じられて良い。日本での報道だと、団体としてのハルモニ達の、しかも戦争被害訴訟の場面だけの印象が強い。ここ韓国だと、実際にあったこととして感じられる。それは広島の平和記念資料館と同様であろう。しかし、広島と違うのは博物館の展示が戦争によって女性の権利が奪われてしまっているという事実に焦点を当てていることである。

さらに展示を進むと、ハルモニ達が履いていた靴が展示空間にある。そうした当時の品々は来館者の身体と時空を超えてコミットしていくので生身の一人の人間の人生と向き合うことになる。戦争とは一人の人生を見えなくすることで成立するものだと改めて感じる。戦争へと進む政治の方向もそうしたプロパガンダを繰り返していくのだろう。

展示のある空間は地下室で暗いが、そこからハルモニ達が強く未来を切り開いていく様が地上へと階段を上る展示によって示されている。階段の途中には日本語、韓国語、英語で「私の青春を返せ」などの一人一人の強いメッセージが本人の顔写真とともに展示される。地上へ出ると、東南アジア全域の日本軍「慰安所」のあったとされる証言(現地の人、被害者)などからなる地図が展示されていた。更に「突撃一番」と呼ばれるコンドームのパッケージが展示、慰安所の配置図(医師による慰安婦の検査、順番を待つ兵士)のイラスト、実際慰安所を利用した日本軍兵士による資料があった。

 

 

ここで私は日本人として実際にあった事実に向き合うことになる。また男性として。他の来館者も真剣に展示に向き合っていた。有名な椅子に座った平和の少女像もあった。ここで、当時の女性戦争被害と現在が繋がっていく。展示は更に世界へと繫がり、バタフライ運動と言われるコンゴやベトナムなどの戦時性暴力被害者への支援をハルモニ達が中心となって女性の人権を守っていく市民運動を紹介していた。

その後展示を進み受付に戻って来たと思って、受付の女性に「良い展示でした」とお礼を言うと、展示はまだあります。と屋外へと案内された。そこではベトナム戦争時、韓国軍がアメリカ軍に加担した時の戦時性暴力の告発が一人一人のベトナム女性たちによって紹介されていた。ここで韓国軍によるベトナム女性レイプの恐怖を読むことで改めて女性の人権について考えた。

我々日本人は日本対韓国の構図で報道を受け止めてしまいがちであり、国家同士の対立構造に持っていけば政治家の思うつぼである。博物館を出ると「女性の権利は人権であり、人権は女性の権利である」と壁に描かれた壁画があった。ソウルにある「戦争と女性の権利博物館」はとても良い展示なので機会があれば訪ねて欲しい。

コルクで平和! -芸術の社会性について-

 

 


先日、神楽坂にあるeitoeikoというギャラリーを友人の作家である松下誠子さんに誘われて訪ねた。その日は別の場所で別の友人の作家である松本貴子さんの公演を見た帰りで、偶然居合わせた4人でギャラリーに入るなり皆良いねえと第一声。現在活躍している作家の個展だった。

一見すると平面的で素朴とも取れる絵柄で、小さな可愛らしい作品。説明を聞くと、作家が作ったコルク人形をもとに絵に描いた作品だという。実際の人形も実在していて、展示されている。また小さな風景画もあり、沖縄の風景だという。どの作品も心の琴線に触れる素晴らしいものであった。

                                                                               

石垣島出身の石垣克子という画家で、沖縄ではとても有名だという説明を受けた。展示空間にもあるコルク人形の絵は沖縄の病院などで良く飾られているという。コルクプロジェクトというものを石垣克子が立ち上げて今年で20周年らしい。コルクプロジェクトとは、石垣克子が他人から貰ったコルクを人形に仕立てて、それをドローイングにして提供者に贈る「交換プロジェクト」。何故コルクなのか。声高に作家として主張するわけでは無く、誰にでも通じるツールとして選んだとギャラリーのオーナーから話を聞いた。

 

コルクプロジェクトの他に「基地のある風景」というシリーズ作品がある。所謂風光明媚な沖縄ではなく、米軍基地の柵を描き、都内にあるヘリポートを描いた作品もある。石垣克子が絵画を習った人は激しい活動家であったが、彼女は違うやり方で平和を訴えたかった。鮮やかな色彩で描かれた風景画は、美しさと同時に静かに現実を訴えている。最初は基地を描くことに戸惑いがあったらしい。石垣の絵画は、色彩が鮮やかであるがとても落ち着いている。絵の具そのものの強さがこちらに伝わってくる。沖縄の強い光がそうさせているのかもしれない。絵柄は人形の絵だったり、基地の風景であったりするのだが、そこに矛盾は感じない。むしろ自然な感じさえする。何かそうした日常から湧き上がる感情が彼女の作品を強くしているのかもしれない。コルクの人形の物語を描いた作品でさえ、ファンタジーそのものよりも人々とのコミュニケーションを取るために描かれたように思えてくる。

石垣克子の作品にはそうした媒介性というものが見え隠れしているのかもしれない。そうした視点で沖縄の基地が描かれているのであれば、逆に我々は何を石垣克子に返せば良いのだろうか。コルク人形の絵は最初可愛いが、ずっと見ていると点のような目が表情を持ち始める。口元は笑っているが、その目は遠くを見ているようでもあり、じっと私を見ているようでもある。

龍安寺の石庭を見る -芸術の社会性について-

 

京都へ石庭を見に行った。関心のある石庭を幾つか候補を挙げて、宿を上京区へ取った。15時半頃宿に着き、石庭について聞いてみた。すると龍安寺の石庭が近いから行ったらどうかと言われた。まだ営業しており、早速行ってみた。16時過ぎくらいだったろうか。外国人の観光客が大勢いて縁側に座って石庭を眺めたり、スマホをいじったりしてゆったりしている。中には熱心に見ている人もいた。私も腰を据えて見ようとしたが、中々落ち着いて見る場所が見つからない。石庭の前を行ったり来たりして、どこから眺めたら良いのか迷っていた。様々な研究がなされているらしいが、不勉強のままの拝観となった。

先ず気づいたことは、理由は分からないけれども石の配置が平面図的に上からの視点で作られていることだった。また平面図的でありながら、斜め上からの視点しか縁側の人には与えられていない。その作られた視点から見えないというのが、自分にとってもどかしい感覚に襲われた。端正な配置であることは分かったが、そこから先に理解が進まない。一番奥のスペースが開いていたので座ってみた。足を縁側から出し、眺めてみる。3つの石が、ある近しさを持って配置されている。自然さが無い。意図を感じる。直感的に石庭は自分の心の鏡では?と思いながら、今度は庭の真ん中あたりに立ってみる。真ん中は白砂が茫洋としていて、少し不安な気持ちになる。先ほど見た三つの石が遠くに見える。さっき見たはずなのに違うものを見ている印象がある。向かって左には大きな石と庭の奥の縁に位置する石が見える。石庭全体を見るとバランスが取れた配置に一見感じるが、眺めようとした途端に不可解なものにすり替わってしまう。今度は向かって左端から眺める。大きな石はどっしりとして安心感がある。石の近くに小さな頭だけ見えている石が2つ覗いている。また不安になる。

この、見えることと見えないことが絶えず私の心を揺り動かす。奥の縁にある石を眺める。縁にあることから図として認識しづらい。形も曖昧なものである。

ここである仮定をしてみた。龍安寺の石庭は何か「分かる」というものでは無いと。するとふーっと身体から力が抜けるのが分かった。一瞬そうか、と思いながら石庭の前をウロウロする。すると自分の感覚で「きれい」と思える景色らしき配置が見えた。でも一瞬で消えてしまうし、画像には残せそうになかった。それでも無理やり全体を画像に収める。今まで見て来た龍安寺の石庭とは似ても似つかぬものだった。でも心には確かに映っている。そこまで感じたところで閉館の17時を過ぎた。明日朝も来ようと思った。

明朝は小雨だった。開館は8時からで、私は来客の少ない石庭を見ることが出来た。昨日と違って、石庭は雨の音がして白砂もしっとり濡れていた。石庭が周りの空間を取り込み、一体感が生まれて静かに佇んでいた。私に対してもよそよそしさが消えて落ち着きのある空間になっていた。私は安心して石庭の真ん中が見える所に腰を下ろした。今朝は落ち着いて石を見ることが出来ている。しばらくしてから奥の3つの石を眺める。3つの石の形が良く見えて来た。昨日は配置くらいしか分からなかったが、形が不明瞭ではなく何か取っ掛かりのある形だなという印象に変わった。その途端に近しさが湧いてきて、そこへしばらく座ってみた。またふと思い付く。この石庭は「分かる」「分からない」を行ったり来たりする心の庭ではないかと。今度は石庭手前の大きな石を見る。近いから「見えている」し、安定感もあるが何故か自分にはよそよそしい。真ん中奥の縁にある石との関係も良く分からない。しかし、何となく手前の石のグループと奥の石のグループは意味合いの違いがあるという認識は出来てきた。出来てくると言っても私の認識の範囲を出ないが。

ここまで色々と感じて来たが、他の人はどうであろうかとまた不安になる。ずっと石庭を眺めている人に声を掛けてみた。すると私が気付かなかった石庭の縁の石が真四角ではなく、1か所出ているところが自分には不自然だと思うと話してくれた。なるほど、自分には見えていないところがあるのだなと思った。しばらくお互いに感じたことを話しながら、話しかけて頂きありがとうございましたとお礼を言われる。時間も経ち、観光客も増えだしたので私は石庭を後にした。

私は龍安寺の石庭を見た後、こんな問いを持った。禅は個人的に悟りを開くので社会的ではないという声を聞く。しかしそうだろうか。個人とは本来閉じたものであり、他者への思いやりが生まれるからこそ社会の芽が育っていくのではないだろうか。個人と社会の間には白砂のように茫洋とした世界が広がっている。そこが埋まったり、埋まらなかったりする。また機会があれば行こうと思う。

 

日本絵画の余白から学ぶ -芸術の社会性について-       

    

日本の絵画鑑賞の装置として屏風画がある。壁に掛かる欧米スタイルの絵画に慣れ親しんでいるが、襖絵、掛け軸など建築の一部として存在しているのが欧米とは違う大きな点だろう。今回は多くの人が知っている屛風画を比べながら、作品の違いを通じて日本の空間意識を探っていきたい。作品画像は複製も含まれる。

先ずは、俵屋宗達風神雷神図屛風と尾形光琳風神雷神図屛風を比べてみたい。画像を一瞬見ただけではどちらがどちらか判別が付きにくい。私は数あるインターネット上の作品画像を見比べるとある違いに気が付いた。それは屏風として床に置いた時の立体感が違うのが分かった。俵屋宗達風神雷神図屛風は床面に立てた時、風神雷神が見えると同時に建具としての空間も見えて来る。金箔に当たる光の部分と影の部分の質感が異なっている。それに比べて尾形光琳風神雷神図屛風は風神雷神の絵の部分しか見えず、屏風の立体感は感じられない。光を当てた画像も金箔の陰影はさほど感じられない。

どちらかが優れているという問題ではないが、違いが興味深い。また比較例として尾形光琳の紅白梅図屛風は分かりやすく平面的で装飾的である。これは作風の違いとして装飾性を強調しようとすれば平面性が勝っていくとも言えるだろう。更に俵屋宗達の代表作として白象図があるが、これは杉板の戸に直接描いたように見える。これも絵を立体的に見せる技術として、絵と何も描かれていない板の余白バランスから白象が今にも飛び出て来そうに見えるのである。

上に挙げた二人の作家は所謂琳派であるが、比較される狩野派はどうであろう。有名な狩野永徳の唐獅子図屏風を見る。先ほどの風神雷神図屛風と見比べると左奥に向かって空間が流れていくのが分かるだろう。これは絵巻物的な横に流れていく空間構成である。有名な洛中洛外図も6枚が一組の長い屏風であるが、これも風景が横に広がっていく視覚を強調する構成になっているのだろう。何点か比較しただけでも、モチーフの絵以外の余白部分を上手く使いながら絵のテーマ、コンセプトを雲や、空、空気などの流れで繋ぐことで作品のメッセージを強調出来ている。余白は単なる空白ではなく、単なる美しさでもない日本文化の文法の一つであるのだろう。同じように水墨画大和絵などの歴史も遡ってみると面白いかもしれない。

こうした作風の違いは単純なステレオタイプの歴史理解を避け、個々の作家の感覚を理解していく楽しさに繋がるだろう。また日本文化として日本列島に住む現在の我々の生活と地続きである何かを学ぶチャンスとなるのではないだろうか。

ルイーズ・ブルジョワの愛  -芸術の社会性について- 

 ルイーズ・ブルジョワ展に行って来た。乳房や男性器を大理石やゴムやブロンズなど様々な素材で彫刻する作品で知られる。他にも布で出来た人体彫刻、ママンと呼ばれるブロンズで出来た巨大な蜘蛛の彫刻が有名。いずれの作品も彼女の家族との葛藤から生まれる感情を制作の動機としている。私は以前にもブルジョワの作品は見ていたが、展覧会として見たのは初めてだった。

 展覧会タイトル「地獄から帰ってきたところ 言っとくけど素晴らしかったわ」原文は「I HAVE BEEN TO HELL AND BACK. AND LET ME TELL YOU, IT WAS WONDERHUL.」は展示作品にある、自身のハンカチに言葉を刺繍した作品から取っている。ブルジョワは自身のメモなどを作品の中に書いたり、刺繍するなどとてもプライベートな感情や感覚を大切にしている。ブルジョワは負の感情が制作の動機となるらしい。しかし作品を見る側からすれば、そうした内面の叫びがカタチとなって現れることで見る人の内面を浄化していく。

 彼女の家はタペストリーの修繕工房を経営しており裕福であった。しかし奔放な父親への嫌悪、父親に振り回される病気の母親への愛情、父親の不貞行為への憎悪などが入り混じり孤独な感情を抱えて育つ。そうした少女期の感情が晩年に至るまで彼女を苦しめていた。父親に対しても一方的な憎悪だけでなく、愛したい、愛されたいという感情も一方であったという。そうした複雑な家族への感情を、一つの造形に落とし込む想像力に圧倒された。

 

 家族への感情をある造形、ある素材で表現していく。繰り返し形や素材を変えて自分の感情と向き合っていく。そうした、理想の造形を夢見ることでない、自身の感情(過去から続く)が出発点となり終点となる芸術は所謂男性優位な美術史解釈を免れる。非常に個人的であり、家族が対象化されることで普遍性を持ち誰にでも鑑賞の機会を持つことが出来る。もちろん家父長的な制度やジェンダー平等への抵抗として社会的に解釈できるが、あくまでもブルジョワ個人に起きた出来事を表現していることに特徴がある。1960年代ころからフェミニズムアートは始まっていき、70年代から80年代に盛んになっていくが、そうした時代のうねりの中にブルジョワの造形もある。

 繰り返される男性器の形や乳房は象徴的であるにも関わらず、重力の表現もあって彫刻としてのリアリティを持つ。天井から吊り下げられる彫刻作品も重力とブルジョワの感情が入り混じり、独特の感情を見る人に与える。自分とブルジョワでは経験が違うはずなのに、人が人に抱く恐怖と畏怖の入り混じる感覚は自身を孤独から解放していく。男女のセックスを題材にした作品もエロチシズムではなく、依存しあう人間の性を鋭く表現しているように私には映った。

 所謂彫刻史を語る余裕は私には無いが、立像から始まるマッチョな彫刻に比べると、自身の家族への感情を性的な象徴性を持って表現したブルジョワはこれからの社会に必要である。彼女は繰り返し「シンボリックアクション」という言葉を残している。彼女の頭の中で、母親の乳房、父親の男性器、家族への愛情が有機的に入り混じり象徴性を持った造形に落とし込むことでブルジョワの中で何かが達成されるのだろう。有名な「ママン」という巨大な蜘蛛のブロンズ彫刻はブルジョワの母親に対する愛情を表現している。蜘蛛は家族の経営するタペストリー修復工房での母親の姿を、糸を吐く蜘蛛に見立て、蜘蛛の腹には子供を産み育てるイメージを持たせている。巨大な蜘蛛の脚は力強くもあり、細く長く鋭利で脆くも感じる。

 そうした彼女の中にある複雑な感情をつぶさに自身で見ながら「象徴」という操作を造形することで自身を癒すことに繋がり、また鑑賞者としての我々の内面にもその浄化作用が届くのである。家族という閉じた関係を様々な視点から芸術化したブルジョワはこれからも語られるだろう。

絵を描くということはどういうことか。 ―芸術の社会性について-

 私は障害者施設で働いている。利用している方々は知的にも身体的にも重度の方である。生活全般に介助が必要であり、使われている制度は生活介護と言う。発語が難しく、身体的にも動きに制限がある。その重度心身障害者の方たちが絵を描きつつある毎日を送っている。絵だけではなく、粘土を使った制作もある。また所謂アート作品と言われない行為性の強い作品を生み出している人もいる。そういった方たちと生活を共にしながら、絵を描くとは、表現するとはという根源的な場面に度々出会う。

 それらの表現は描かせようとしたものではない。彼らの願いを聞きながら、寄り添った結果自然に生み出されたものである。先日創作活動中利用者の方が、緑色の画用紙を手に取った。普段なら取った瞬間にクシャクシャにして自分の遊び道具として使ってしまう。しかしその時は違った。机に持っていき、置いた。「絵を描きますか」と聞くと「はい」と答えた。私は普段と違う彼の行動に内心戸惑いながら「何を描きますか」と聞くと「カメ描く」と答えた。私は思わず「えっ」と驚いた。「カメ」と聞いて思い浮かんだのは、彼が好きで良く家から持参するカメのぬいぐるみのことだ。「えっ、まさかカメだから緑色の紙を選んだのかな」と思い、「クレヨンは何色にしますか」との問いに「みどり」と答えて黄緑色でサササッと走り書き風にギザギザの線を描いた。「完成ですか」と聞くと「はい」と答えて、「飾りますか」と聞くと「はい」と答えた。私は嬉しくなって窓ガラスにその絵を飾った。それは彼が初めて(多分)色の付いた色紙に対して描くものと判断した瞬間だと感じた。

 上の話は偶然だと半分私が思った翌日、彼はまた「カメ描く」と言いながら今度は渡した白い紙に黄緑色のクレヨンで「カメ」を走り書き風に描いたのだった。この話は前段階があり、彼には色と物を結び付ける考え方があるのは知っていた。郵便ポストの「赤」や落ち葉の「黄色」。その、好きだったり気になったりしているものの認識が日頃大切にしているぬいぐるみへと移り、そのぬいぐるみを「描きたい」となったのである。

 またある方は、絵を描く人だという認識が全く無かったが、不自由な手の中にマジックを本人の描きやすいであろう指と指の間に挟んだところ、やおら描き始めた。しかも1年目は1本1本の線が偶然画用紙に舞い降りたような不確かな線であった。しかし最近は集中力が増して、執拗に線を重ねていく作品や複雑な方向へ線が走っている作品もある。見比べると、1枚1枚違う気持ちで画面に向き合ったかが伝わってくる。彼には発語は無いが、絞り出すような発声はある。普段主体的に何か事柄を選んだりするタイプでは無かったので、しっかりした意思を持って画面に向き合う彼に驚いた。さらに驚くのは集中している時、支援者が周りにいると手が止まってしまい、離れると集中して画面に向き合う姿があった。普段我々支援者は近くに寄り添うのが仕事であるが、時々邪魔になるのだというある種当然と言えば当然のことに気づかされた。

 こうした、絵をめぐるやり取りは本人の中に「描きたい」という欲望がなければ成立しないことを意味している。よくある、支援者が本人の代わりに描いてしまう実践は絵を描く背景に欲望があることを忘れている。絵を描く喜びは人それぞれ違うと思う。そのそれぞれの違いに普遍性があるとすれば、それは本人の内側から湧き上がる「何か」であり周りの人が代わりにするものでは無いのだろう。そのセンシティブな、プライベートな感覚を理解しようとせず、障害が重いから代わりにやってあげましょうというのは本人を無視していることになるだろう。私はこれからも彼らの根源にある衝動や欲望を注視して社会と共有していきたい。

ヌスバウムとゴヤが捉えた戦争 -芸術の社会性について-

        

ウクライナとロシア、ガザとイスラエルの戦争が今私の生きているこの場所の地続きで起きている。私は何をすべきだろう、と自問する。私はと言えば自分の生活で精一杯である。障害者福祉の仕事に日々携わりながら、少しでも社会が良くなればと思っている。しかし一方で世界では無残にも人々が殺されて亡くなっている。障害者福祉の仕事の他に美術に携わる身として何を考えて何をすれば良いのか。自問の先を美術史に向けてみた。

    

最初に浮かんだのは、フェリックス・ヌスバウムというユダヤ系ドイツ人画家。その後はフランシスコ・ゴヤだった。フェリックス・ヌスバウム第二次世界大戦ナチスドイツによるユダヤ人迫害から、家族とバラバラになりながら国外に逃げて生活を続けて絵を描き続けた。最終的にアウシュヴィッツ強制収容所で殺される。その間、その死の3か月前まで制作をしている。多くの作品が家族と自分が横に並んだり、前後に並ぶなど、家族が自分のアイデンティティだったことが伺われる。自分と家族の関わりをここまで印象的に描く作品を私は知らない。これは常にナチスドイツによって、自分のアイデンティティユダヤ人であること)が侵食され続けていることの叫びなのだろう。戦争が、ユダヤ教を信ずる人々全てを排除していく悪夢に対する絶望がヌスバウムを包み込んでいく。唯一の希望は絵を制作すること。しかし希望が描けるわけではなく、信仰を貫くという形を作品に託したのだろう。ヌスバウムの作品が絶望に包まれながらも彼の視線が真っすぐこちらに向かってくることから作品が力強さを放っている。その眼差しの力強さと、取り巻く絶望のコントラストが作品を見るものを圧倒する。

    

続けて、時代を遡ってスペインの画家フランシスコ・ゴヤを思い浮かべてみた。ゴヤは最初宮廷画家であった。しかし病の影響から耳が聞こえなくなってしまい、晩年「聾者の家」と呼ばれた家で、誰に見せるわけではない通称「黒い絵」という自身の連作を自宅の壁に並べて過ごす。没後、自宅の壁から剝がされて現在は美術館に飾られている。そもそも画家は時の権力からの注文に応じて肖像画などを描いていた。それ以前は教会を飾る宗教画であったり。いずれも画題は人間の暗い面ではなく、理想像であったり、権力者の虚栄心を満たすものであったりすることが多かった。ゴヤが68歳当時フランス占領軍がスペインに侵攻した際、市民の抵抗をゴヤは描いている。これは時代によるところもあるが、画家の画題としては転換点の一つと言えるだろう。軍と市民の戦いという新しい画題がそこに見える。軍は匿名の誰かであり、市民は我々の誰かである。王政が衰えて近代国家の足音が聞こえるが、戦争は無くならない。

 

          

晩年のゴヤの「黒い絵」は戦争を直接描いたものでは無いが、人間の愚かさを様々な角度から描いたものではないだろうか。注文によるものでは無く、直接ゴヤの内面を見るような強烈さがある。ヌスバウムゴヤが描いた戦争とは何だったのか。それは「人間」を描くことなのではないだろうか。その「人間」とは正しさを振りかざして他者を排除する。それはゴヤのシリーズに倣えば「黒い心」とも言えなくない。他者を排除する心が戦争を生むとすれば、逆に他者との共存が論理的には戦争を生まないということになる。一人でも無用な死が起こらないように、芸術は何をすべきだろうか。