重度の障害を持つ方々の表現 ―芸術の社会性について―


私は重度の障害を持つ方々の表現活動に関わって14年くらいになる。最近は新しい職場で福祉従事者として働きながら、重度心身障害者の表現に向き合っている。4年以上経つ中で変化が表れている。最初は問題行動と呼ばれる行為や行動を否定しないことだった。何故かと言えば、本人の自己肯定感を増やしていくためには当事者が感じていることや考え方を肯定した上で向き合う必要があると感じたからだ。当初は反発もあった。私も考え方だけ伝えても本人が変化しないと意味が無いので時間は掛かると思っていた。

しかし1年2年と過ぎる内に本人たちが変化し始めた。問題行動?を取っていたと見られる方々は毎日楽しそうに過ごしている。そして表現をし始める人が少しずつ表れて来た。楽しいことや悲しいと思うことは人それぞれである。一人一人の物語がある。重い障害を持つ方々を出来る出来ないの枠で見ることなく、それぞれの言いたいことを拾っていく作業が必要である。私は美術をやるので、造形を通してその声を拾おうとした。でもその拾い方はほとんど偶然の出来事から始まる。何が出来るのかなという問いではなく、どういう人なのかという本人理解から始めていった。

 

     

Uさん作品

Uさんは、全盲である。でも絵を描くことを誘ってみた。最初はあるワークショップでスポンジに絵の具を含ませて画用紙に描いてもらった。驚くべきことが起こった。Uさんはスポンジと画用紙が擦れることを楽しんでいるようだった。どれくらい時間が経っただろう。声を掛けるのも躊躇するくらい集中して制作していた。オレンジ色をしたその絵は画用紙の肌がスポンジで擦ったことで毛羽立ち、リアリティーのある表面を作っていた。更に淡い様々なオレンジ色の雲のような不思議な作品になった。ある日、食べ物を描くワークショップをした時クレヨンで描くことをスタッフが提案した。するとスタッフと楽しくおしゃべりしながら自分の好きな食べ物を描きだして、最後はスイーツを描くと言っていたらしい。聞くと以前は弱視であって、見えていた世界があったようである。そこから絵を描く機会があると、自分の記憶と現在の気持ちが合わさったような不思議な絵を描きだした。思い付いたことを一気に描く時があれば、急に静かになってイメージが湧くとまた描きだす。描いた部分が重ならないように手で確かめながら次の場所に描いていく。筆圧が軽くフワッとした絵だが、良く見ると気持ちがグッと伝わってくる不思議な絵だ。

 

   

Yさん作品

Yさんはてんかん発作になることが当時多く、その配慮から私との関わりが始まった。食事を摂ることが好きで、食べ終わると幸せそうな顔をする。右手でスプーンを力強く握る。たまに力が入り過ぎてしまうこともあった。以前は歩けていたようだ。座ったり、立ち上がったり、手を添えて一緒に歩く時に声を掛けるととても嬉しそうにする様子があった。そうやって発語はないけれど、声掛けによる表情を見ていると、何かしたいのかもしれないなと思うようになった。ある日あるワークショップで、色紙を右手でギュッと握っているのを見た。私はそれを取っておいて家族に見せた。それから表現活動の日に、紙粘土を握ることを誘ってみた。やりたい様子なので、右手の中に丸めた紙粘土を入れてみた。するとギューッと握る。凄いね!と声を掛けた。時には力を入れたいけれど上手くタイミングが合わないこともあった。それからはトイレ介助などで一緒にいる時に、Yさん粘土やります?と聞くと、目がキラッと輝くことが増えて来た。ある日などは、柔らかい紙粘土では物足りない様子なので、少し抵抗感のある粘土を渡すと満足そうにギュウッと握っていたことがあった。私はその時、粘土を握るという行為の中でこんなにもYさんが色々感じているのだなと、その感情の機微に驚いた。

私は重度の障害のある方々と表現を重ねることで、心の内という存在を改めて感じることとなった。