ヌスバウムとゴヤが捉えた戦争 -芸術の社会性について-

        

ウクライナとロシア、ガザとイスラエルの戦争が今私の生きているこの場所の地続きで起きている。私は何をすべきだろう、と自問する。私はと言えば自分の生活で精一杯である。障害者福祉の仕事に日々携わりながら、少しでも社会が良くなればと思っている。しかし一方で世界では無残にも人々が殺されて亡くなっている。障害者福祉の仕事の他に美術に携わる身として何を考えて何をすれば良いのか。自問の先を美術史に向けてみた。

    

最初に浮かんだのは、フェリックス・ヌスバウムというユダヤ系ドイツ人画家。その後はフランシスコ・ゴヤだった。フェリックス・ヌスバウム第二次世界大戦ナチスドイツによるユダヤ人迫害から、家族とバラバラになりながら国外に逃げて生活を続けて絵を描き続けた。最終的にアウシュヴィッツ強制収容所で殺される。その間、その死の3か月前まで制作をしている。多くの作品が家族と自分が横に並んだり、前後に並ぶなど、家族が自分のアイデンティティだったことが伺われる。自分と家族の関わりをここまで印象的に描く作品を私は知らない。これは常にナチスドイツによって、自分のアイデンティティユダヤ人であること)が侵食され続けていることの叫びなのだろう。戦争が、ユダヤ教を信ずる人々全てを排除していく悪夢に対する絶望がヌスバウムを包み込んでいく。唯一の希望は絵を制作すること。しかし希望が描けるわけではなく、信仰を貫くという形を作品に託したのだろう。ヌスバウムの作品が絶望に包まれながらも彼の視線が真っすぐこちらに向かってくることから作品が力強さを放っている。その眼差しの力強さと、取り巻く絶望のコントラストが作品を見るものを圧倒する。

    

続けて、時代を遡ってスペインの画家フランシスコ・ゴヤを思い浮かべてみた。ゴヤは最初宮廷画家であった。しかし病の影響から耳が聞こえなくなってしまい、晩年「聾者の家」と呼ばれた家で、誰に見せるわけではない通称「黒い絵」という自身の連作を自宅の壁に並べて過ごす。没後、自宅の壁から剝がされて現在は美術館に飾られている。そもそも画家は時の権力からの注文に応じて肖像画などを描いていた。それ以前は教会を飾る宗教画であったり。いずれも画題は人間の暗い面ではなく、理想像であったり、権力者の虚栄心を満たすものであったりすることが多かった。ゴヤが68歳当時フランス占領軍がスペインに侵攻した際、市民の抵抗をゴヤは描いている。これは時代によるところもあるが、画家の画題としては転換点の一つと言えるだろう。軍と市民の戦いという新しい画題がそこに見える。軍は匿名の誰かであり、市民は我々の誰かである。王政が衰えて近代国家の足音が聞こえるが、戦争は無くならない。

 

          

晩年のゴヤの「黒い絵」は戦争を直接描いたものでは無いが、人間の愚かさを様々な角度から描いたものではないだろうか。注文によるものでは無く、直接ゴヤの内面を見るような強烈さがある。ヌスバウムゴヤが描いた戦争とは何だったのか。それは「人間」を描くことなのではないだろうか。その「人間」とは正しさを振りかざして他者を排除する。それはゴヤのシリーズに倣えば「黒い心」とも言えなくない。他者を排除する心が戦争を生むとすれば、逆に他者との共存が論理的には戦争を生まないということになる。一人でも無用な死が起こらないように、芸術は何をすべきだろうか。

 

 

 

人体彫刻が語り掛けるもの -芸術の社会性について-        

 

連日ウクライナとロシアの戦争、ガザとイスラエル、様々な紛争、日本では東日本大震災能登半島地震、様々な殺人事件、自死、貧困、差別など今生きている我々が乗り越えなければならない社会問題がある。そうした誰でもない誰かとしての私や、私たちが如何に生きるべきかを考える時、彫刻芸術の一つのジャンルである人体彫刻は我々に何を伝えようとしているのかと自問してみた。

頭に浮かんだのは、彫刻家アントニー・ゴームリーの人体彫刻である。元々は自身がモデルである人体彫刻作品がゴームリー本人を離れて誰でもない誰かとして、作品を見る人に訴える。主に鋳物の鉄で作られた、それらの人体は、遠くを見つめていたり、考え込んでいたり、ただ立っていたりと、何かをしているというよりは内面を見つめている人間を彷彿とさせる。表情は抽象化されてのっぺりしながらも独特の人体のポーズが内面を見つめているよう我々に思わせるのである。しかもそれらの彫刻は設置された展示空間と共にあるように見える。それは作品の接地面をゴームリーが強く意識しているからだろう。接地面が意識されると我々鑑賞者と地続きの空間に彫刻が存在するため、我々の内面に強く働きかけてくる。それは、作品を理解しようと鑑賞者が作品を内面化しようとする行為と同化していく。またゴームリーの人体彫刻の物体性、構造性が我々を生きた細胞の集まりのように昇華し、誰でもない誰かを生み出すのであろう。そこに「この今」を如何に生きるべきかと、他者としての私を思わずにはいられないのである。

 

ゴームリー作品をネット画像でひとしきり見るとある作家を思い浮かべた。メダルド・ロッソである。抽象彫刻のパイオニアと言われる彫刻家である。岩の塊から生み出されたような人体彫刻は、我々が「物」であることを強く意識させる。また誰でもない誰かというアノニマス(無名性)な存在として意識される。名前をはく奪されても尚存在する生きた塊としての存在。塊でもあり、溶け出すようなその独特の容態は儚い我々を表しているのだろうか。

 

メダルド・ロッソの次に思い浮かんだ彫刻家は、アルベルト・ジャコメッティ。細長い彫刻が有名だ。彼は身近な存在としての家族や友達をモデルにしながら様々な人体彫刻を作ってきた。しかも昼間はモデルを前にしながら何時間も制作し、夜は記憶や想像によってモデルを彫刻化していくのである。これは実在の人間(他者)が自分にとってどういう風に存在しているのかを飽くなき探求として実践していくプロセスの結果なのである。ジャコメッティにとってモデルを目の前にして触る粘土の一つ一つが実在と同じ重さを持って存在していく。その実在感が、鑑賞者の我々を風景のように存在させる。無限の時間の中に佇む風景である我々はお互いに「ある距離」を持って存在するのである。その距離こそが我々を我々たらしめるとジャコメッティは考えたのだろうか。

ここまで書いてきて冒頭に挙げた如何に我々が生きるべきかを考えた時、上に挙げた人体彫刻作品が我々に語るのは何であろうか。一つには無名な一人としての存在を一人一人が意識して他者を思いやることではないだろうか。生きることは自分一人では出来ない。そばにいる誰かの存在が私を支えているのだ。逆に無名な私が無名な誰かを支えるのである。その「無名性」が、我々を我々たらしめていることに早く世界が気付くべきではないだろうか。

 

 

 



 

カール・アンドレとアナ・メンディエタ  -芸術の社会性について- 

  

   

 

アメリカ人彫刻家カール・アンドレの事を書こうとしていたら、妻であるキューバ人美術家のアナ・メンディエタを知ることとなった。結婚当初カール・アンドレはすでに有名なミニマルアーティストであった。アナ・メンディエタはこれから有名になるところであった。アナ・メンディエタは一緒に住んでいたニューヨークの34階のマンションから転落死している。当時はカール・アンドレが被告となり裁判となったが無罪となっている。

カール・アンドレは枕木やタイルなど工業素材を加工せずに並べる行為によって彫刻作品を成立させていた。展示空間(環境)に合わせて鑑賞者がコミット出来る社会的仕組み自体を作品とした。政治活動にも積極的に関わるなど、他の芸術家に比べて社会性の強い作家であった。また妻のアナ・メンディエタも社会派の作家としてフェミズムアーティスト(本人は作品のことをアースボディアートと呼んでいる)として知られる存在であった。泥や花を自然の地形の中で造形化した。有名な人型の作品は、自然の中に生まれては消える生命をイメージしている。その大地性や生命性は後の作家に影響を与えた。二人に共通した世界観は社会性だろう。しかしミニマルアートとフェミニズムアートは重なるところはあるが、結果としての造形に違いがあるためか等しく論じられることはあまりないのではないだろうか。しかしアナ・メンディエタの造形も極端に切り詰められたものであり、積極的な造形でない点ではミニマルアートを感じさせるものである。私が両者の作品を見比べた時感じたことは、作家の個を主張する現代アートの在り方である。奇しくもアンドレメンディエタも個を主張している訳では無い。しかしアートの概念を主張することで作品が成立するために多様なものを包摂出来ないでいるのではないだろうか。このアートの限界とも言える状況に我々は何をすべきなのだろうか。

    

 

現代は地球の環境も経済も科学もある臨界点に来ている。個があって社会があるとする。そこには無数の社会があって、幾多の国家がある。その国家は争いながら地球を共有している。生命は大地から生まれ、大地に眠ると言われる。社会を離れて人間は存在出来ないし、大地が無ければ生きることは出来ない。こうした状況に他者に対する思いやりや想像力が必要なのだろう。

アートは変わらなければならない。人間の複数性という概念をドイツ人哲学者ハンナ・アーレントは残している。互いに差異性がありながら同等である多数性。今でいえばノーマライゼーションやインクルーシヴやダイバーシティ。そのお互いが語り合う「場」を永遠に探してさ迷うのもまた人間の業なのか。しかし前に進まなければならない。私は思う。これからは「アートを皆で見る」時代なのではないかと。その、見たり感じたり受け取ったりする複数がアートの対象である。雲を掴むようなその作業、終わりの無い作業こそが我々の現在なのではないだろうか。我々は我々の現在を見ることが難しい。互いに隔てられた壁の中に生きることから一歩外へ出ること。

私はカール・アンドレの彫刻の社会性を書こうとしながらアナ・メンディエタの作品の神秘性に心揺り動かされた。アンドレメンディエタの作品の原理の違いを理解しながら、まだ私は複数性の概念で語ることが出来ないでいる。

 

 

重度の障害を持つ方々の表現 ―芸術の社会性について―


私は重度の障害を持つ方々の表現活動に関わって14年くらいになる。最近は新しい職場で福祉従事者として働きながら、重度心身障害者の表現に向き合っている。4年以上経つ中で変化が表れている。最初は問題行動と呼ばれる行為や行動を否定しないことだった。何故かと言えば、本人の自己肯定感を増やしていくためには当事者が感じていることや考え方を肯定した上で向き合う必要があると感じたからだ。当初は反発もあった。私も考え方だけ伝えても本人が変化しないと意味が無いので時間は掛かると思っていた。

しかし1年2年と過ぎる内に本人たちが変化し始めた。問題行動?を取っていたと見られる方々は毎日楽しそうに過ごしている。そして表現をし始める人が少しずつ表れて来た。楽しいことや悲しいと思うことは人それぞれである。一人一人の物語がある。重い障害を持つ方々を出来る出来ないの枠で見ることなく、それぞれの言いたいことを拾っていく作業が必要である。私は美術をやるので、造形を通してその声を拾おうとした。でもその拾い方はほとんど偶然の出来事から始まる。何が出来るのかなという問いではなく、どういう人なのかという本人理解から始めていった。

 

     

Uさん作品

Uさんは、全盲である。でも絵を描くことを誘ってみた。最初はあるワークショップでスポンジに絵の具を含ませて画用紙に描いてもらった。驚くべきことが起こった。Uさんはスポンジと画用紙が擦れることを楽しんでいるようだった。どれくらい時間が経っただろう。声を掛けるのも躊躇するくらい集中して制作していた。オレンジ色をしたその絵は画用紙の肌がスポンジで擦ったことで毛羽立ち、リアリティーのある表面を作っていた。更に淡い様々なオレンジ色の雲のような不思議な作品になった。ある日、食べ物を描くワークショップをした時クレヨンで描くことをスタッフが提案した。するとスタッフと楽しくおしゃべりしながら自分の好きな食べ物を描きだして、最後はスイーツを描くと言っていたらしい。聞くと以前は弱視であって、見えていた世界があったようである。そこから絵を描く機会があると、自分の記憶と現在の気持ちが合わさったような不思議な絵を描きだした。思い付いたことを一気に描く時があれば、急に静かになってイメージが湧くとまた描きだす。描いた部分が重ならないように手で確かめながら次の場所に描いていく。筆圧が軽くフワッとした絵だが、良く見ると気持ちがグッと伝わってくる不思議な絵だ。

 

   

Yさん作品

Yさんはてんかん発作になることが当時多く、その配慮から私との関わりが始まった。食事を摂ることが好きで、食べ終わると幸せそうな顔をする。右手でスプーンを力強く握る。たまに力が入り過ぎてしまうこともあった。以前は歩けていたようだ。座ったり、立ち上がったり、手を添えて一緒に歩く時に声を掛けるととても嬉しそうにする様子があった。そうやって発語はないけれど、声掛けによる表情を見ていると、何かしたいのかもしれないなと思うようになった。ある日あるワークショップで、色紙を右手でギュッと握っているのを見た。私はそれを取っておいて家族に見せた。それから表現活動の日に、紙粘土を握ることを誘ってみた。やりたい様子なので、右手の中に丸めた紙粘土を入れてみた。するとギューッと握る。凄いね!と声を掛けた。時には力を入れたいけれど上手くタイミングが合わないこともあった。それからはトイレ介助などで一緒にいる時に、Yさん粘土やります?と聞くと、目がキラッと輝くことが増えて来た。ある日などは、柔らかい紙粘土では物足りない様子なので、少し抵抗感のある粘土を渡すと満足そうにギュウッと握っていたことがあった。私はその時、粘土を握るという行為の中でこんなにもYさんが色々感じているのだなと、その感情の機微に驚いた。

私は重度の障害のある方々と表現を重ねることで、心の内という存在を改めて感じることとなった。

ジョセフ・アルバースとジョルジョ・モランディ ―芸術の社会性について―

                 

現在千葉県にある川村美術館でジョセフ・アルバース展が行われている。興味があり、動画を検索すると、2021年ニューヨークのDavid Zwirner Galleryで行われたアルバース(ジョセフ・アルバース)とモランディ(ジョルジョ・モランディ)の二人展の動画を発見した。展覧会タイトルにあるNever Finished(永遠な未完)に惹かれた。

動画を見ていくと、アルバースは正方形賛歌というタイトルの絵画作品を無数に制作しており、1点1点の差異が本質で完成品を求めていたのではないことが伺われた。一方のモランディも、テーブル上の静物画を多く制作しており、1点1点の差異から生まれる何かを求めている。同じテーマを無数に制作しているという共通性はあるが、片方は抽象画でもう片方は具象画である。1点だけを見ても分らぬが、しかし1点1点の差異を見ていくと、どちらの作品も静けさを湛えていることが見えてくる。それはある何かを見て、こうだと判断する断言的なものではなく「今あるここ」を肯定していくような瞑想的な雰囲気を備えていることが段々と分かってくる。不思議なのは、アルバースとモランディの作品を単体で見ていくときには分からないが、お互いを見比べたり、似た作品を多数見ていくとそのグラデーションの中に吸い込まれていく感覚に襲われる。それは境の無い世界ではなく、小さな差異がより明確になるのである。しかしその小さな差異は最後まで小さな差異でしかなく、何かを我々に訴えてくるわけではない。

  

     

 

  


有名なモランディの逸話では、家族にモチーフである花瓶などに付着した埃を払わないよう言っていたという。それは同じ花瓶でも観察した時間帯による光の差異や時間が経過したモノとしての存在を感じるための工夫だったのかもしれない。アルバースも僅かな差異の暗い色彩や明るい色彩の中に価値を見出していく様子がある。正方形というカタチから生み出される細かな感情を観客は発見していくのである。それはまるで厳かな教会で過ごす時間のようである。

またアルバースの絵画の支持体であるメゾナイトという素材とモランディの作品のモチーフの花瓶やガラス瓶には共通したものがある。メゾナイトは建築用の資材であり、元々は画材ではない。また花瓶などはどこの家庭にでもあるありふれたものだ。そうした何でもないものを前提にしながら、芸術を求めていくことは一つの錬金術とも言える。その芸術に対する姿勢そのものが一見同一な無数の作品化が生まれる背景になったのかもしれない。ありふれた日常は個人的なものであり、社会との距離が一見ありそうである。実際モランディは社交界には目もくれず、母国イタリアから出ることも興味が無かった。しかし個人の日常をひたすらに積み重ねることで個人が社会化する可能性が出てくるのである。美術史的にもモランディは所謂ミニマリズムを用意した一人である。一方アルバースはドイツでデザインと芸術を統合する思想であるバウハウス学校で育ち教職を経ながらアメリカに渡り、そこで多くの学生と触れ合い芸術の普遍性を求めた。また家具などのデザインの仕事も残している。美術史としてモランディ同様後のミニマリズムに影響を与えている。

芸術家の多くが非日常である芸術と日常の差異の探求を仕事とする。アルバースとモランディは作品の背景にある日常の「何でもなさ」を生涯仕事とし、我々に日常とは何か生きることや、変わらないこととは何かを問いかけているのもしれない。

HAKOBUNE  -芸術の社会性について-                

2023年6月3日から7月9日まで土日開催で三浦市諸磯において31名の作家が集うグループ展が行われた。私も参加し、様々な貴重な経験をすることとなった。場所は相模湾に面していて、会場となる諸磯青少年センターは老朽化のため現在は閉館中。そこに「HAKOBUNE」というタイトルを付けて、これから海にまさに出ようとする人々を表現した展覧会となった。先ずは作家の会場見学から全ては始まった。展覧会の企画は美術家倉重光則であり、自身近所にアトリエや居を構えており、散歩の際目に触れた諸磯青少年センターの時間の経過した様に惹かれ、自身の画業を重ねたという。

私を含めた作家の会場見学の際の印象を説明する。海側の窓という窓は塩害のため、開かなくなっている。正確にはFRPという強化プラスチックで目張りしてあるのだ。それぐらい建物と自然の戦いは激しく、窓のアルミサッシは塩害で穴が開き、建物の内側には塩が結晶化していた。鉄という鉄は錆びて、外壁、天井の腐食、至る所に自然の影響を見ることになる。芸術は自然に学べとは良く言われることだが人間の建造物を突き抜けるパワーに畏怖の念を覚えた。私はといえば、頭で考え整理された作品のアイデアを放り投げて先ずは大平洋を含めたこの風景、または足元に咲くタンポポに身を委ねることにした。

会期が始まってみると、地元の方々が沢山訪れた。建物に飾ってそのままにしていた祭りの写真に友達を見つける方もいた。建物が歴史を持って佇んでいる状況をそのままにすることによって交差する何かを感じた。案内する側の作家も作品だけでなく、建物や会場の話をすることで来客と同じ空間にいることを強く意識することになった。これはギャラリーなどでは起こりにくい現象である。芸術という用意された制度の中で来客と関係を結ぶのではなく、生きる営みとしての芸術を意識していく。地続きな空間を体験することは、作家と観客いうボーダーを壊しているとも言える。

会場は建物の内側と外側に渡っている。建物内側の作品空間の真裏に他者の作品空間があるという、鑑賞体験としては稀有なことがそこここで起きている。これは美術のテーマである内側と外側の問題を想起させる。また、一階の給湯室を利用している作家は部屋の入り口にあるステンレスのアーチを夜空のように取り込んでいる。かと思うと2階の給湯室には海側の小さな窓から差す光を取り込んだ長細い空間に教会を思わせるような静かな空間を作った二人の作家がいた。こうした建物の間取りを利用した個々の作品空間の展開は、偶然出来上がったものだと思うが何か必然を感じてしまう。まだある。海側の窓には4人の作家がそれぞれに作品空間を形成しているが、それぞれの窓の使い方、作品を通したビジョンの見せ方が違いとても興味深かった。窓と風景が各作家を媒介しているので、それぞれの違いというか見たい世界が共存しているのだ。普段なら、言葉や、思考でお互いが隔てられているのに。

私は会場に5回ほど足を運んだが、最初各作家の作品写真が何故か撮れずにいた。そして4回目に訪れた時ふと、作品から距離を置くと自然と写真が撮れた。作品を紹介するための写真では無く、その場の状況を撮ったのだと思う。今回の「HAKOBUNE」は稀有な鑑賞体験が通奏低音のように鳴り響いていたのかもしれない。通奏低音といえば、海から吹く風の音が常に鳴っていて、皆が心地よさそうに聴いていた。